まずは他者への攻撃は楽しいと認めよう【戯言】

本記事は以下のような方を対象としています。

  1. 差別は悪だと思っている。
  2. 差別を行う人は悪人だと思っている。

普通の人が他者を攻撃してる。

  SNSの炎上、少数への差別、いわゆる自粛警察。今の社会には他者への攻撃が溢れている。 では、今の社会には悪人が多いのだろうか? そんな事はないはずだ。少なくとも悪人が著しく増えているとは思えない。(実際に他殺の件数は減少傾向にある)
  つまり、ごく普通の人が他者を攻撃しているのだ。では、なぜ普通の感性をもつ人が、他者を攻撃してしまうのか? 誤解を恐れず答えるなら、そもそも他者への攻撃は楽しいからだ。
  「常識的な人は差別をしない」=「自分は差別なんてしない」という誤解を解くことが、差別をなくす第一歩ではないだろうか。

攻撃することは楽しい。

  他人を平気で攻撃するような人間は、サイコパスといった異常者だと考えている人は多いだろう。少なくとも、正義感に欠ける不道徳な人間であると無意識に思っているはずだ。
  このような認識は改めたほうが良い。たしかに思いやりのある人は、他人を攻撃する事は少ないのだろう。しかし大多数の人間は、条件さえ整えばいとも簡単に他人を攻撃する。
  失敗した人や不祥事を起こした人への批判はよくある事だ。正義は悪を批判する。つまり、環境さえ許せば、他者を攻撃したくなるものなのだ。
  何かを批判するとき、高揚した気分になった事はないだろうか? 多くの人は身に覚えがあるはずだ。自身に正義がある限り、攻撃することは楽しいのだ。

攻撃は自己肯定感を満たす。

  なぜ他人を攻撃することは楽しいのか? 様々な理由があると思うが、自己肯定感を得られることが大きいように思える。
  他者を否定することで、自分は正しいと思うことが出来る。何かを批判し正すことで、自分には影響力があると思うことが出来る。人は自分が正しく有能であると思い込みたいものなのだ。

差別は身近なモノであると身構えよう。

  多くの人は自分には良識があると思いたいし、「差別なんてするはずがない」と無意識に思い込んでいる。 このような慢心が脇を甘くし、攻撃の誘惑に付け入る隙を与える。常識や正義といった、社会や良心への言い訳がある限り、攻撃とは楽しいモノなのだ。
  常にこのような誘惑があることを意識し自戒すべきだろう。今は通用する言い訳が未来永劫に通用するとは限らないのだから。